2010年04月15日

マタニティーブルー

マタニティーブルーになるとは思っていなかった。

ことの発端は、たぶん母乳。
昼も夜中もなく、3時間ごとに授乳していたのに、生まれた翌日のアレの体重計測で300g減っていた。
母乳がまだきちんと出ていないのと、アレが授乳中にすぐに寝てしまって、まともに飲んでいないのが原因らしい。
母乳が十分じゃなければ、ミルクと混合でもいいしねーくらいに簡単に考えていたら
「はじめはみんな体重が減るものなので、大丈夫だと思いますが、300gはリミットなので。。」
ということで、ミッションが始まった。

まず、授乳の際に、アレの口の隙間からものすごく細い管を差し入れて、ミルクを注入。こうすれば、母乳と一緒に飲むので大丈夫とのこと。
授乳の合間に、搾乳。
300g体重が減ってるわけだから、ほとんどできるわけないんだけど、それでも少しでも母乳を!ということらしい。
そして、授乳の時間を用紙に記入。右が何分、左が何分というかんじ。

これが意外と大変だった。

赤ちゃん係が一緒にやってくれるのだけど、細い管を口の脇に差し込んで。。というのが意外と難しく、飲んでると思いきや、こぼれていたり、係の人が、こぼしていたり。
少しすると、アレが飲まずにそのまま眠ってしまうので、肩のうしろをなでながら声をかけたり、濡らしたコットンで顔を拭いたり、頭をなでたり。。と試行錯誤。

搾乳も、電動搾乳機の説明が間違っていたらしく、なかなかうまく使えずひと苦労。

でも、こんなことだけなら、きっとブルーになんてならなかったと思う。
問題は、ここのシステム。

たとえば、用があればコールボタンを押す。
赤ちゃんの係か助産師さんがやってくるのだけど、すぐに来てくれることはあまりなく、結構待たされる。
私はまだ、起き上がることも歩くことも。。というか、一人でベッド上で動くこともできないので、必ずひとを呼んで手伝ってもらわないと、何もできない。
なので、ひたすら待つ。
これが、アレがお腹がすいたと泣く度、トイレに行きたいと思うたび、部屋の電話が届かないと気付くたび、毎回毎回なので気が重い。

そのうえ、ここはチーム制。
なので、自分の用事をいちばん最初に片づけてもらいたいようで、たとえば。
助産師が薬を置いていく。
次に赤ちゃん係がやってくると、薬を脇によけて、授乳記録用紙と搾乳機を私の目の前に置いていく。
次に、食事の係は、搾乳機をベッドから離れたテーブルへ持っていき、記録用紙と薬を脇に寄せ、食事を目の前に置いていく。
そこに赤ちゃん係がやってくると、食事を離れたテーブルへ運んで搾乳機をまた近くに持ってくる。。という具合。
または、「私の同僚を探してるんだけど!」と笑顔で掃除の係が日中何度も入ってくる。

手が届かず、目の前にあるのにひとりでできないことと、こんなことでコールボタンを押して長いこと待たないといけないことの苛立ちとストレス。
プラス、毎日、人の出入りが多くて、眠れない。
プラス、掃除係は常に同僚を探してる。
プラス、アレに黄疸が出てるかも。。ママがアジアチックだからかもしれないけど、一応チェックしますねーなんて、よくはわからないフランス語会話で常にきちんと把握できないイライラ。
(アルノに聞いても、「心配ない」しか言わないので、理解できないのがさらにイライラ)

というのが重なって、たった2日なのにマタニティーブルーになって、アルノママが来たときに、思わず泣き出してしまった。
そしてそこに、カウンセラー登場。
。。なんてすばらしいタイミング。すばらしすぎて、腹が立った。


泣いたらすっきりして、その後は何事もなかったように元通り。
アレの体重も1日のミッションで体重が戻り、一度増えれば後は増えていくばかりだからと、ミッション終了。

一週間で、母子ともに問題なく退院した。
おもしろいのは、「何日後には退院できますよ」とは言われなかったこと。
こっちから聞かなければ、好きなだけ入院できるのか?
私の場合は「火曜日で一週間ですけど、退院できますか?」とアルノが助産師に聞いてOKだったので、じゃあ退院しますと申告して、退院した。
それも、食事の係には伝わっていなかったようで、ふつうは午前中に退院するようなのだけど、アルノの迎えが午後になるので病室で待っていたら、昼食が運ばれてきた。
問題ないようなので、食べたのだけど、その際に夕食のメニュー(選択式)も聞かれた。
これって、全部、後から保険で料金が戻ってくるわけだから、税金てことだよな。

やっぱりチーム制って、問題あると思う。





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2010年04月12日

出産その後

アルノの顔効きで(?)一人部屋にしてもらえ、生まれたてのアレッサンドロとふたり。

といっても、入れ替わり立ち替わり、人がやってくるものです。

その病院は12時間勤務の朝夕6時の交代制。
毎朝6時過ぎになると、おしゃべりをしながら仕事が始まっている様子が部屋の外から伝わってきて、毎朝7時すぎごろ朝食が運ばれてくる。
フランスは西なので、日本よりもずっと朝明るくなるのが遅く、その時間はまっくら。
でも、とりあえず食べて、また少し眠る。
しばらくして、食器をさげにきたあとは、また少し眠れる時間。

1時間くらいすると、係のひとがやってきて、部屋を掃除していく。
人によって、掃除の仕方は様々。
きっちり隅々までモップで拭きあげてくれる人がいると思えば、掃除の液をびゃーっとまいて、そのあと水をびゃーっとまいて、ほとんど拭かないで終わりの人もいる。
さすが、フランス。。これでわたしのルームシューズはびしょぬれになったし、トイレに行く際に足元が滑りそうで危なかったことがある。
帝王切開の手術後で滑って転んだら、シャレにならない。

掃除の係と入れ違いくらいに、赤ちゃんのお世話を手伝ってくれる人がやってくる。
まだ私は動けないので、ビタミン飲ませたり、顔の掃除をしたり、お風呂をいれたりのあらゆることをしてくれる。
プラス授乳のお手伝い。(私もまだ慣れていないのと、アレッサンドロもうまく飲めないので、いろいろ正しい飲み方を指導してくれる。)

それと前後して、助産師さん登場。
私の様子をすべてチェックし、薬とか、アレッサンドロの様子とか全般にわたってチェック、説明などしてくれる。
病院の先生はもうノータッチ。
私の今後の処置もなにもかもすべて、助産師さん。

アレッサンドロの体重と身長は毎朝、係の先生がきて測っていく。

落ち着く間なく、昼食。

午後になって、家族、親戚、友達がきてくれる。


というのが、毎日の大体のスケジュール。
このほかに、マタニティのメンタルケアの先生がきて、「大丈夫?心配事はない?だんなさんはやさしくしてくれてる?」など、アレッサンドロがお腹をすかせて泣いていても、しばらく話をしつづける。
この時は、お腹すいて泣いてるってわかってるのに、なぜ帰らない?と思ったけれど、自分の気持ちと向き合って、先生と話すことは大事なことだったと後で思った。

翌日、マタニティブルーになったから。



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2010年03月25日

べべ出産 4

だいぶ日にちが空いてしまったので、ここからはざっと。

手術はふつう5人で行われるそうで、さっきまでテストをしてくれていた先生2人と新たに登場した看護師さん3人。
手術を見るかと聞かれたけれど、「血」に弱いし、見てたらおなかの中をいろいろ想像して気分が悪くなりそうなので、目の前に布をたらして、首から向こうが見れないようにしてもらった。
と・・
その布が顔にぴらぴらとくっついて、不快。
ものすごくストレス。
なので、麻酔を打たれて首しか動かない状態で、一所懸命に説明し、布を離してもらった。

すると、今度はまた体が震え始めた。
看護師に震えをうったえ、早朝も同じようになったことを説明すると、
「それはなんで震えてたの?」
と逆に聞かれ、
「わからないです!でも、寒いわけじゃなくて、今みたいにこんなかんじで!!」
と、聞きたいのはこっちのほうなのと、どうにかしてほしいのと、自分の言葉が足りないことにものすごくイライラして、思わず語気が強くなってしまった。
「きっと体の疲れね。」
とその看護師さんは言っていた。アルノの考えによると、高熱と長い時間の陣痛の疲れが、眠ってない体に震えとして反応が出たんじゃないかとのこと。
麻酔で痛くはなかっただけで、結局、一晩中陣痛はきてたわけだから、そうなのかも。家でも陣痛はきてたわけだし。

いよいよ手術開始。
麻酔の効きを確認するべく、先生がおなかを軽くたたく。
「わかる?」
「わかります。」
「じゃ、2分待ちましょう。」

「わかる?」
「痛くはないけれど、おなかを触ったのはわかります。」
「じゃ、あと2分待ちましょう。」

「わかる?」
「わかります。」
「。。。はじめましょう。」
布で向こうが見えないのに、おなかを触ったとわかるのだから、おなかに感覚がまだあるわけで、でも切られてしまった。
痛くはないけど、へんなかんじ。
何かされてるのはわかる、変な感覚。
それからまもなく、感覚がなくなった。

少しすると、また顔に布がぴらぴらくっつく。
言いたいけど、頭がうまく働かなくて、うまく伝えられなくて、でもものすごく不快で、「えいっ!」とやったら右手が動いて、その布を自分で払ったとたん
「動かないで!何をやってるの。」
と、看護師にしかられた。

また少しすると、だんだん気分が悪くなってきた。
吐きたい感じ。
おなかの中をいじられてるのだから、当り前なのかもしれない。
そしてこれを伝えるのも一苦労で、動詞の活用を間違えたのでなかなかわかってもらえず、英語で言ってみたり。
ようやく伝わって、銀色の皿を顔の横に置かれた。でも、微妙に頭が届かない距離。
。。。きっと、本当に吐きたくなった時には、この皿は間に合わないだろうな。手は動かないし、訴えているうちにきっと吐いちゃう。。

なんて、ぼんやり考えていると
「疲れてるでしょ。少し眠りますか?」
と看護師が言ってくれて、
「お願いします。」
と口?鼻?から何かをすって眠らせてもらった。
本当に吐く手前まできていて、つらかったのでホッとしたけど、いろいろ騒ぎ立てる私が静かになって、看護師もホッとしたと思う。

この間のどこかでか、またはこの後だったか覚えていないけれど、アレッサンドロが取り出され、
「ほら、生まれたわよ。だっこする?」
と、体が赤いままのべべを胸の上に置かれ、頭にチュッとだけしたのと、うっすら血のにおいを覚えている。

母子ともに問題なく、無事にことを終えられて、よかった。

posted by bibo at 07:36| パリ | Comment(10) | べべ出産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月27日

ベベ出産3

無痛分娩にのぞむべく、すぐ近くの、さっきとは明らかに違う立派な分娩台のある分娩室に移動し、麻酔医が来るのを、陣痛にもだえながら(?!)ひとりで待つ時間は、とても長くかんじる。。

ようやくアルノが戻ってきて、
「持ってきてるだろうと思ったけど、家に残ってたからもしかしたら忘れてると困ると思って!」
と、歯ブラシやら(私は旅行用のをちゃんと持って来ていたのだけど)なにやら、妊娠経過のファイルのほかにもいろいろ持ってきて、遅くなったらしい。
「お腹空くだろうと思って!」
と、朝食用のクラッカーの大箱とイチゴジャムの大ビンをそのまま持ってきたのを見た時には、なんだかホッとしたような、笑えるような、でも、おかげで気持ちが現実に戻ってきた気がしました。

麻酔をうってもらってからは、うとうとしながら「その時」が来るのを待つばかり。
すぐ横で座っているアルノもわたしも、その時にそなえて、少し眠ったり、病院が出してくれる出生証明書のための書類を書いたり、(このときにすでに、べべの名前を書いて渡すので、名前は決めていたけど、3番目の名前をやっぱりやめようかとか、相談したり。)して、静かに過ごしていました。

時々様子を見に来てくれる、あのかわいらしい看護士さんは、ものすごくてきばきとしていて、とても頼りがいがあって(その様子をここでうまく書けないのだけど)、あの人じゃなかったら、わたしはこんなに落ち着いて待っていられなかったかもと、今でも思う。とても感謝しています。

「朝までには生まれるってことは、あと4時間後には。。」
と思っていたのですが、陣痛はだんだん弱まっていき、子宮口が6センチから開いてこない。
そこで陣痛促進剤を投与され、頭は少しぼんやりしたまま、痛みはないけど、陣痛が強まっているのはわかるかんじで、また待ちの時間。

でも、なかなか子宮口は開いてこない。
そのうち、いろいろと世話してくれたあの看護士さんが、朝勤務との交替の時間になり、
「あの看護士さんに最後までいてほしかったなー。」
と、ぼんやりした頭で考えていたそのとき、ようやく、9センチ。
が、
べべの脈拍は200を超えて行き、私の体温は39度を超えていて、あの看護士さんが何やらいろいろ手配をしたらしく、先生ふたりと新たに3人の看護士さんがモニターやら何やらいろいろな器具とともに登場。
あの看護士さんは、
「わたしは交替になるけれど。」
と挨拶してくれたあとも、一度去って行ったあとも、私服で登場していろいろ確認しながら、いろいろ指示、申し送りをして帰って行きました。

突然、知らない人たち(と言っても先生と看護士だけど)に囲まれ、急に緊張と不安になりながら、「9センチのまま出産できるかどうか」のテストの結果を待っていると、いつの間にか、体ががたがた震えていました。
「なんでだろう??」
とにぶい頭でゆっくり考え
「でも寒くはない。」
と自分で確認していると、震えていることにアルノが気づき(看護士3人はわたしの周りで管やら何やらやっているのに、まったく気づかなかった)
「震えてるけど、大丈夫なのか?!」
と、ぼんやりしている私のかわりに、聞いてくれ、どうして震えていたのか、大丈夫なのかは、フランス語がわからない私には、全くわからなかったけれど、注射を打たれ、震えはひとまず治まった。

この間の、先生たちのテストに結果、
「帝王切開にしましょう!そのほうが安全。」
ということで、急遽、帝王切開することに。
「心配ないですよ。安心して下さい!ほら、だんなさん、キスしてあげなくていいの?」
と、朝勤務の看護士さんの、妙に明るい語りかけとともに、となりの手術室へ移されました。
posted by bibo at 07:04| パリ ☀| Comment(4) | べべ出産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

ベベ出産 2

病院に着くと、あらかじめアルノがセキュリティルームにお願いしてあったのもあって(アルノはここのセキュリティの仕事をしているので)、アルノの同僚が、車いすを用意して駐車場で待機してくれていました。
「えー、そんな、まだ大丈夫だよ。」
と言うと、
「はい、乗って!」
と言われ、特別な乗り物に「トクベツに」乗せてもらった気持ちで、ちょっとわくわくして産婦人科の病棟まで連れて行ってもらいました。
(最近聞いたアルノの話によると、「出産に病院に来て、楽しそうに笑いながら車いすに乗った人は初めてだったよ。」と、そのときの同僚が言っていたそうです。。)

田舎だし夜中だしの静かな病院内で、待機する部屋に着くと、とてもかわいらしい看護士さん(助産婦)がひとり待っていてくれて、私は、状況を簡単に、片言のフランス語で説明し、看護士さんに今の体の状況を診てもらうと、
「今、4センチ開いてますね。朝までには生まれますよ。」
とのこと。
わたしは、ベベの脈拍がわかるものをつけられて、あとは陣痛をやりすごしながら、その時を待つだけなので、今までの妊娠状況をアルノが説明。
と言っても、2週間前に、Dr.ダニエルの診察を受けたばかりなので、診察ファイルの情報で、今までの婦人科での経過がわかります。

。。のはずです。。
が。。
診察ファイルがない。。

看護士さんに「家に持ち帰ってないか」と聞かれ、(病院のファイルを持ち帰られるはずはないんだけど)
「今までの婦人科での記録ありますけど、この前の診察ファイルは受け取ってないです。」
3度も、あらためて看護士さんがファイルを探しに行ったのですが、やはり見つからない。
「うーん、やっぱり見つからない。。。じゃあ、わたしが新しく作りますので、婦人科の記録を持ってきてもらうことはできますか? まだ出産までは時間があるし。」
ということで、アルノは婦人科の記録を取りに家に戻り、その間わたしは、看護士さんの問診に答えることになりました。

が、想像以上に、どんどん強くなる陣痛に「陣痛をやり過ごす呼吸」をしようとしても、「スー、フーーー」と音が大きくなるばかりで、きちんとした呼吸がまったくできない。
ベッドに前屈みになってみたり、おしりを強く叩いてみたり、思いつくことはやってみるのだけど、まったく効かず、そんな私をみた看護士さんが、「少し歩いて回ってみますか?」と言ってくれたのですが、脚ががくがくして、それどころじゃない。
相当つらそうにしていたであろう私を見かねて、看護士さんが何かを私にたずねました。
「xxxxxxxxx?」

。。。フランス語がわからない。。

でもきっとこれは、気を紛らすための世間話ではなくて、絶対に分娩方法について聞いてると感じたので、前もって、出産に関わる単語を書き出して整理しておいたノートを取り出し、看護士さんに差し出すと、
「良いアイデアね!」というような表情に。
ノートの指差し会話で、無痛分娩をお願いし、すぐに麻酔を打ってもらうことにしました。
このとき、どんなに気持ちが軽くなったことか!

本当に、陣痛は、痛かった!




posted by bibo at 07:43| パリ ☁| Comment(2) | べべ出産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

ベベ出産 1

アレの誕生から3ヶ月。
本当にあっという間でした。

アレはだいぶしっかりしてきて、大きくなり、経験値もあがってますが、わたしのお腹はまだ触ると違和感があって、時々なんか痛かったり、走ったり飛んだりするのはちょっとこわい。。。と運動しないので、さらに良くならないの悪循環。
家の中でできる体操程度の下半身エクササイズをようやく始め、なわとびも時々することにしました。
  
思えば、3ヶ月前は帝王切開するとは少しも思っておらず、「無痛分娩で他の人よりもずっと楽なはず!」と心に言い聞かせていたわけです。
フランスでの出産ということで、不安でありながらも、ちょっとのんびりしていた気がします。

「出産がまもなく!」のおしるしがきてからも、お腹が痛くなったりしていたのですが、それが陣痛だとは少しも思わず、「トイレに行きたいお腹の痛み」とずっと勘違いしていました。
おしるしの報告に母に電話をした際も
「陣痛は明らかに今までと違う痛みだから、それはまだ違うんじゃない?」
と言われたし、周りの話を聞くところによると、みんな口を揃えて、
「これは絶対そうだ!」
とはっきりわかる違うお腹の痛みと言うので、わたしはそんなにお腹は痛くないし、逆におしりがトイレをしたい感じで、腰が痛くて、なのでまだ陣痛は来ないんだなと、のんきに思っていたし。

その日の夜は、仕事帰りにアルノがおいしいピッツェリアでピザをテイクアウトしてきて、
「これで今夜出産ってことになったら、二人ともタマネギ&ニンニク臭くて、大変だねー。」
と、へらへら話していたら、まんまとその4時間後には破水して、0時すぎにサンマロ病院へ向かいました。
病院へ向かうアルノの車の中で、5分おきにお腹が痛くなりながら、緊張感はあったけれど、不安は感じなかったし、夜のドライブは、静かで空気が違っていて、やっぱりいいなーなんて考えていた気がします。
posted by bibo at 10:11| パリ ☁| Comment(2) | べべ出産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月02日

フランス式?

アレッサンドロが生まれて、3週間が経ちました。

「しばらくは忙しいと思うけどがんばって!」
と、日本の友だちにメールをもらっていたとおり、毎日ほんとうに忙しい!
家事とアレのことだけで、あっという間に一日が終わり、フランス語やブログまで手が回らず、ため息をついているところです。
本当に、世界中のお母さんを尊敬します。

出産のことの前に。
入院中から今日まで、毎日、こんなの履いてました。
IMGP0748.JPG 
Dr.ショール的な、強力タイツ。ほとんどベッドで過ごしていて、脚が使えなくなるのを予防するためのようで、入院二日目に病院で処方箋をうけ、アルノママが薬局で買ってきてくれました。
朝も夜も入浴時のほかは常に履いていなければいけません。

そして、もうひとつ。
これも、今日まで毎日うっていました。

IMGP0756.JPG強力タイツ同様、脚のための注射。
入院時は産科の看護士が毎日、交互の脚にうってくれていたのですが、退院してからも2週間、毎日欠かさず打たなければならず、「自分でできますか?」と聞かれたのですが、さすがに自分の脚にさす勇気がなく(しかもちょっと痛い)、出張してうってくれる看護士のような人を手配してもらいました。
(ちなみに、アルノママはお腹に自分で注射していたそうです。)

ということで、今日までの2週間、毎朝、女性の看護士のような人が家にやって来て、私の脚に注射をうって帰っていっていたわけです。
毎朝、決まっていない時間に人が来るので(6人くらいがローテーションでやってくる)、いろいろとやりたいことができなかったりと、とてもイヤでしたが(しかも痛い)、これも今朝で無事おわり、それとともに強力タイツもおわり、ちょっとほっとしています。

このほかに、毎週火曜日に、アレの体重と退院後の様子を見るために、県から保健婦のような人が午前中に来るし(母子手帳に記入して帰る)、毎週火曜日と金曜日の午前中には、私の血液を採血しに、注射をしてくれていたのと同じところの看護士がやってきます。
これがいつまで続くのか、あまりにいろいろ多すぎて、忘れてしまった。。
あとで、病院からの用紙をチェックしないと。。

日本式は、どんなかんじでしょうか。
posted by bibo at 00:22| パリ ☁| Comment(6) | べべ出産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

Ça y est !

来ました、ベベ!

もうすぐ生まれてくる。。なんて思っていたら、3週間はやく登場。
11月10日の午前中に誕生しました。

無痛分娩の予定だったのですが、陣痛が時間とともに弱まって。。などいろいろで、急遽、帝王切開になり、一週間の入院の後、火曜日の午後に退院してきました。

まだ、わたしは傷の部分が痛いので、なんとなく前屈みで、ぴょこぴょこ歩いていますが、わたしもべべも元気に家に帰ってきました。

おしるしが来てから退院まで、やっぱりいろんなことがあったので、それはまたあらためて。

とりいそぎ、みなさまにお知らせまで!
posted by bibo at 06:28| パリ | Comment(6) | べべ出産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

フエルト雑貨

もうすぐ、生まれてくるので、こんなの作ってみました。

IMGP0672.JPG

フエルト原毛から作るのですが、頭を空っぽにして、集中して作るととっても楽しい!
しかも、このダーラへストはまったく本のまま作ったので、難しくなく、なかなかいけている。。手前味噌。
IKEAづくしのべべ部屋に、ちょっと努力した感を出したかったのですが、北欧同士なのに、微妙にテイストがかみ合っていない気が。。また中和アイテムを考えないと!というのが、今後の課題です。

日本でスタイリストをしていた時には、さすがに、本の通りに作って撮影小道具に使うのは気が引けたので、フエルトボールを作るくらいしか活用していなかったのですが、フラ語で疲れた頭に、とっても効いている気がします。
たぶん、煮込み料理を集中して作る感じ。

リビングに敷く、子供の遊びスペース用マットとか、ルームシューズなんかも作ってみたいと思うのですが、未だ、サンマロでフエルト原毛を発見できず。
肉牛や乳牛ばかりでなく、羊もいるのになあ、ブルターニュ。ってそんな問題ではないのか。

どなたか、ブルターニュでフエルト原毛取り扱い店を知っていたら、ご一報ください。


北欧が好き、フェルトが好き。原毛から作るちいさな雑貨―国旗ポーチから可愛い北欧の動物たちまで

北欧が好き、フェルトが好き。原毛から作るちいさな雑貨―国旗ポーチから可愛い北欧の動物たちまで

  • 作者: 山崎 左織
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2007/11
  • メディア: 大型本




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2009年10月29日

妊婦検診

日本で言えば、9ヶ月(フランスでは8ヶ月だか8ヶ月目だかイマイチよくわからない。。)、無事に35週目の妊婦になりました。

わたしの場合、基本的には、妊娠がわかってからずっと、3週に一度、サンマロの婦人科病院に通っていて、体重、血圧、触診、ふくらんでいるお腹の部分の縦の長さ、そしてエコーで赤ちゃんの様子をチェックします。
「ジネコ(婦人科医をジネコローグと言います)は毎回たいしたことしないのに、毎回100ユーロ以上払って、なんだかものすごく高い!!」
とアルノは時々文句を言っていますが、何かあったら逆に大変なので、まあ仕方がない。
(検診も保険が利きますが、とりあえず先に全額払って、後から戻ってくるシステムのようです。。。といっても、最近、診てもらった後、お会計がないんだけど、大丈夫だろうか。。)

先週、初めて、出産する予定のサンマロの中央病院での検診がありました。
診察内容は婦人科とたいして変わらず、簡単な質問と上記の内容のほかに、感染症のチェックをして、エコーはやらず。
「まったくもって問題ないですね。」
と心配ない様子。
ただ、
「(わたしが)小さいので、産む力が弱いかもしれないから、もし赤ちゃんが、このままあんまり大きくなるようなら、二週間くらい早く産むのもいいかもね。」
とのこと。
確かに、10月始めの婦人科でのエコーの時点で2100gとわかり、
「身長も体重も大きいわね。」
とジネコに言われていました。
それに、こっちの妊婦さんは、みんななんだかとっても大きい!
(アルノママもアルノ姉も、25kg近く増えたとか。。)
それに比べると、現在10kg増のわたしは、全然小さい方なのかも。それでも、太ももや首まわりがここ2週間でとても太くなってきて「イヤだなー」と思っていたのだけど。

と、ここでひとつ疑問が。

今のところ、この後の、中央病院の検診の予定はなく、来月にいつものように婦人科に行くのだと思うのですが、一体、いつ誰が「二週間はやく産みましょう!」と判断するんだろう??
それを提案したDr.ダニエルの検診が、またあるんだろうか??
「8ヶ月目の検診は、中央病院で予約してくださいね。」と指示したのは、通っている婦人科のジネコ。また、ジネコの指示があるのかなあ。

なんだか、結局最後までよくわからないまま、予定日通りに産むような気がします。
予定通りの12月生まれの方が、なんとなく気分なので、その方がいいけど。






posted by bibo at 10:01| パリ | Comment(8) | べべ出産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
プロフィール
名前:bibo
誕生日:1973年
性別:F
一言:フランス語猛勉強?!しながら、写真と料理を!
愛すべきフランス人の偏見にどれだけ耐えられるか?

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